ごはんのことばかり100話とちょっと

ごはんのことばかり100話とちょっと
よしもとばななさんのエッセイを読みました。日々の他愛もないごはんとそれにまつわる面白いこと不思議なこと、驚きの体験、悲しかったことまで、たくさん綴られていて、そのさまざまな感情とともに、大好きな家族や、友人や、お店の人や、思い出の人が登場します。いつも誰かとそれを分かち合ってる感じ。ごはんと愛情って繋がってる!と思える一冊。本の中で「チビ」の愛称で登場する息子さんへの思いもたっぷり。この味を将来懐かしく思い出してくれるといいな。とか、この食事が彼の人生を豊かにしてくれるといいな。とか日々そういう思いを持って一緒に食事をしているごくごく普通のお母さん(頑張りすぎていない自然体な)であるばななさんを垣間見て、親近感を覚えました。
食育と言う言葉が使われるようになって久しいけれど、今の子供達には充分その成果が現れているように思います。我が家も、娘が小さい頃は食べるものには少しばかり自分なりに気を使ったつもりでいたけれど、すぐには成果は現れずヤキモキしていた頃もありました。娘は何故か白いごはん、うどん、そば、しか食べないようなチビッコでした。チャーハンとか、スパゲッティーとか、子供の好きそうなものをかなり長い間拒み続け、私をずいぶん悩ませたものの、幼稚園に行き、お弁当を食べるようになり、小学校に入って給食を食べるようになると、めきめきいろんなものを食べられるようになりました。みんなで楽しく食べる給食の役割は大きかったように思います。
特に沖縄で始まった小学校時代は、異文化の食生活を体験したことで、彼女の人生はぐぐっと豊かになったと感じました。小さい頃の味覚は柔軟なのだと思います。給食試食会で初めて食べた、フーチバー(ヨモギ)の炊き込みご飯は大人の私には相当強烈な味だったし、ムーチー(月桃の葉に包んで蒸すおもち)の香りもかなり大人味だと思ったし、沖縄そばのぶちぶち切れるあの食感を嫌う人も多いけれど、彼女にとっては今も大好きな思い出の食べ物。
本土に戻ってからも、給食で豚キムチやビビンバなどの韓国料理も食べて、またまた食の世界が広がりました。基本的に家で食べることに執着し、外食を嫌う彼女だけれど、自分の子供の頃と比べると、遥かに食べられるものの幅が広いと思うし、美味しさをわかっている、と思うのです。魚は大好きだし、野菜もよく食べる。今年は新鮮な牡蠣のお陰で(私はまだまだ苦手だった記憶がある)牡蠣の美味しさにも目覚めたし、キムチや山葵や、マスタード、最近はラー油にも挑戦して楽しんでいます。そうやって豊かになっていく子供を見るのはやっぱり嬉しいし、美味しく楽しく食べた記憶には、もれなく愛のある幸せな時間がついてくる。そういう時間を出来る限りは大切にして、送り出してあげたいものだと改めて思うのでした。