のりこえられないもの


夫の伯母から、娘にクリスマスの贈り物が届きました。「おもいやりのことば」という小さな本と「カトリック手帖2010」。手帖にはカトリックの行事とお祈りがぎっしり詰まっています。クリスマスは私にとってちょっとしたトラウマの季節でもあります。私はカトリック信者の家に嫁ぎました。夫の家はおじいちゃんの代からのクリスチャンで、シスターの伯母様までいる生粋さ。義母がボランティアでホームレスのためのおにぎりを作るのを手伝ったこともあります。(残念ながら私はちっとも喜びを感じることは出来なかったけれど)伯母と私との間には、ここ数年信仰に関する確執があり、この手のプレゼント攻撃(聖書や本を山ほど贈ってくれた)からもしばらく遠ざかっていたのに・・・。何故かまた始まってしまった。
私の実家には仏壇があるけれど、果てしなく無宗教に近い環境で育ったため、宗教については今でも、かなり無頓着なままです。教会での結婚式を決して譲らなかった夫の希望で、しぶしぶ教会のお勉強会に通いましたが、神父様の言葉は一つも心に響かず、右から左へ通過して行き、私にとっては形だけの結婚式でした。これが私に一生付いて回る重い荷物になると気付くのに随分時間が掛かりましたが、今でも私がどうしても乗り越えることの出来ない夫との価値観の違いでもあり、一族との間の高い壁でもあるのです。
少し前に、新聞で「自分の家がなくても何処ででも暮らしてゆける、という考えはキリスト教的な考え方。自分が終わりを迎える場所を見つけて初めて平穏な暮らしができるのは日本人の魂」なのだという記事を読んで、あ〜〜私、日本人なんだなあ。と実感しました。私から見たら、夫含め、夫の家族は外国人みたいな人達。良し悪しではなく、乗り越えられなくても当然、と自分を納得させたい気分にもなるわけで・・・。こういう贈り物をされて「有難う!」と感謝できない自分は悲しいけれど、これから先歩み寄ることが出来るとも思えません。世界で戦争が終わらないように、人が宗教を超越して理解しあうことはとても難しいことなのかな。宗教を持つことで自分が道徳的で正しい人間だと錯覚する人は意外に多いのかも。私は特別な信仰を持たずとも、道徳的に生きていけばいいのだと思っているけれど・・・。あ〜〜私は一生うわべだけのクリスマスを祝ってバカみたいに浮かれていたかったのにな。本当にそれで幸せだったのにな。あ〜〜揺ぎ無く超然としていたい!!